【シリーズ=教養の饗応】(8/22配信第67号)
今は、二十四節気の「立秋(=りっしゅう)(8/8-8/22)」
七十二候の「蒙霧升降(もうむ しょうごう)(8/18-8/22)」です。
昨日8月21日は、「赤口(しゃっこう)」です。
本日8月22日は、「先勝(せんしょう)」です。
明日8月23日は、「友引(ともびき)」です。
また、陰暦八月の異名は「葉月(はづき)」です。
英語では「August」
フランス語では「août= (ウゥートゥ)」です。
中国語では『八月』と書いて『バーユエ』と発音します。
韓国語では『팔월』と書いて『バルォル』と発音します。
8月の呼称としては、「秋風月(あきかぜつき)」、「雁来月(かりきづき)」、
「観月(かんげつ)」、「建酉月(けんゆうげつ)」、「木染月(こぞめつき)」、
「壮月(そうげつ)」、「竹春(ちくしゅん)」、「仲秋(ちゅうしゅう)」、
「月見月(つきみつき)」、「燕去月(つばめさりづき)」
「紅染月(べにそめづき)」、「萩月(はぎづき)」
などとも呼ばれているそうです。
第67号の配信です。
【今日の教養その1(文学)】
<『ドン・キホーテ』
ミゲル・デ・セルバンテスの『ドン・キホーテ』(前編は1605年、後編は
1615年)は、スペイン語圏の最も傑出した文化的偉業と言っていいだろう。
スペイン文学の最高傑作と称賛され、言語を問わず世界最初の近代小説と
広く考えられている。
タイトルにもなっている主人公は、スペイン中央部のラ・マンチャ地方に
生まれた50歳の男だ。騎士道物語に感化された彼は、ある日、当惑する家族に
向かって、私は名をドン・キホーテと変え、これより偉業を成し遂げ、あらゆる悪を正すべく、我が高貴なる駿馬――とは名ばかりで、じつはやせ細った駄馬ロシナンテ――にまたがって遍歴の旅に出ると宣言した。そして文字の読めない農夫サンチョ・パンサを「従者」にした。サンチョは、ドン・キホーテは頭がおかしいと思っているが、島の領主にしてやろうと約束されたので、それを半ば信じて新たな主人についていくことにした。
主従は、行く先々で数々の災難にぶつかる。ドン・キホーテは、出会うもの
すべてを次々と誤解していく。宿屋の主人を騎士と思い込み、売春婦を汚れなき乙女に、修道士を魔法使いに勘違いし、風車を巨人と思い込む。相手によかれと思ってやったことが、かえって迷惑になることもしょっちゅうだ。そうした冒険は、すべてドゥルシネア・デル・トボソという「姫」に捧げているが、この女性、じつは農家の娘で、彼女自身はこの冒険行にこれっぽっちも関心がない。
『ドン・キホーテ』は、中世において世俗文学の代表だった騎士道物語のパロ
ディーであると同時に、そのオマージュでもある。中世の騎士道物語は、英雄的な騎士たちの話を、おもに貴婦人への崇高な愛をテーマとして、緩やかに結びつけたものだ。事実に基づくものもあれば、昔からの言い伝えもある。『ドン・キホーテ』でセルバンテスは、同じ素材を扱いながらも語り口に統一感を持たせ、それまでなかった心理面での深みと、風刺的な自己認識とを与えている。また、驚くほどポストモダン的なひねりも加えている。別の作家が1614年に『ドン・キホーテ』の続編を勝手に作って出版すると、セルバンテスは偽の続編のことを本物の後編で取り上げたのだ。作中、ドン・キホーテとサンチョは、この贋作をバカにした態度でこき下ろすのである。
私たちは、こうした特徴は現代の文学では当たり前だと思っている――そもそも、小説という形式を当たり前だと思っている――が、当時としては斬新なものだった。
ドン・キホーテを作り出したことそのものが一大成果であり、その姿は、さまざまな時代や人々により、愚者、悲劇のヒーロー、世間に流されるのを拒む勇気ある人物など、多種多様に解釈されてきた。これほど多くの側面を兼ね備えているからこそ、セルバンテスが生んだドン・キホーテは、時を経ても色あせることのない魅力的な創作上の人物のひとりになったのである。
<豆知識>
- 今までに出版されたすべての書籍のうち、『ドン・キホーテ』は、印刷物総数で聖書に次いで史上第二位である。
(The Intellectual Devotional―1日1ページ読むだけで身につく世界の教養365より)
セルバンテスが書いた世界最初の近代小説とされている作品です。
豆知識に記載されているように、聖書に次ぐ印刷物総数を誇る世界的
ベストセラーです。
今の日本では、企業の「驚安の殿堂ドン・キホーテ」の方が有名に
なってしまい、この小説が由来であることさえ忘れられているかも
しれません。
<ドン・キホーテ>に興味のある方は下記リンクへ。
<企業ドン・キホーテ>に興味のある方は下記リンクへ。
【新シリーズ:「世界を知る101の言葉」Dr Mandeep Rai著より(56)】
あなたを101か国のツアーにお連れして、それぞれの国を動かしている【価値観】を「単語ひとつ」の言葉で表して、解説していく、という本よりの紹介になります。
(56)シンガポール(Singapore)=「秩序」(Order)
・この落ち着かなさはどこから来ているのか?
シンガポールに滞在して数日後、気がつけば私はカオスを切望していました――整然としすぎて落ち着かないのです。
この反応を不思議に思う人は、この国が、ガムをかむのを法律で禁じていることを思い出してください。横断歩道のない場所で道路を渡るのも、公衆トイレで水を流さないのも法律違反。秩序、規則、規制が日常生活のあらゆる面を網羅し、あちこちで目を光らせています。
シンガポールはあらゆる意味で、圧倒的な秩序感覚に支配された国です。しばしば「ファイン・カントリー」と呼ばれるのは、優良な国という意味だけではなく、公共の乗り物で特定の食品(ドリアンフルーツ)を食べることから、車の往来の近くで凧揚げをすることまで、あらゆることに「罰金(ファイン)」が課せられるからです。
法令に記載されていない常識化したルールもあります。ラッシュアワーの間は、街の公共交通機関では1秒たりともぐずぐずしない。エレベータのドアが閉じると、すべての会話を切り上げる。夕食に招待されたら、手土産は食べ物意外にする(食べ物の差し入れは、ホストの食事の準備が足りないという解釈につながるため)。
・「秩序」がもたらしている国際的な成果
さすが、シンガポールが「世界で最も細心の注意を払って計画された都市」
「企業のように運営されている国」と表現されるだけのことはあります。
どちらの表現も、創始者であり長年の統治者であったリー・クアン・ユーの秩序あるビジョンの証です。彼は、沼地にすぎなかったこの地を発展させ、世界有数の先進的な経済大国へと導きました。
過去10年の間、シンガポールは「世界で最も健康な国(ただし近年はこの分野
で、苦戦中)」「ビジネスを行うのに最適な場所」という評価を受けて来ました。また、国際的な教育評価ランキングでは常にトップクラスの成績で、2016年にはPISAで1位を獲得しています。 何もないところから出発し、多くの天然
資源を持たない小さな都市国家であるシンガポールは、慎重に計画された「秩序」を使って並はずれたビジョンを実現し、さまざまなことが達成できるという究極の見本です。
・緻密な努力が「秩序」を生み出す
シンガポールは水不足の国ですが、効果的な政策を掲げることで、現在では
水保全と管理の世界的リーダーと見なされるまでになりました。最大限の努力によって、利用可能な雨水をすべて集め、水を大規模にリサイクル・再生するためのインフラを創成し、汚染されていた河川をきれいにするための大プロジェクトを実施しています。
都市国家の制限と制約を管理するという秩序づけられたアプローチは、住宅
政策にもおよんでいます。シンガポール人の約80%は、政府が提供する公団住宅に住み、周囲には学校から店舗までさまざまな設備が組み込まれて、独立したコミュニティが形成されています。また、民族を確実に混合させ、単一民族
コミュニティが発展するのを避けるための配分調整が行われます。
禁止、割り当て、規制を、誰もが楽しめるとは限りません。でも、シンガポールは、ルールブックを使うことが、求める成果を得るために重要であることを教えてくれます。
シンガポールの公共政策のありかたは、私たちが仕事や人生で目標達成を求めるときにも使えます。規制や手順にいらだつことがあっても、秩序が果たす役割は重要なのです。
成功は偶然には起こりません。シンガポールが示すように、整然とした方法で
注意深く計画されてこそ成功が手に入るのです。今日のビジネスの世界では、クリエイティブであることや、規則破り、分裂や崩壊が称賛されることがあります。でもその中心に秩序がないと、何の価値もありません。秩序がなければ、達成はないのです。
首都→シンガポール(国全体がひとつの都市)。
人口→564万人(うちシンガポール人・永住者は399万人)。
面積→720平方キロ(東京23区と同程度)。
民族→中華系74%、マレー系14%、インド系9%。
言語→マレー語(国語・公用語)、ほか英語・中国語・タミール語が公用語。
GDP→3,597億ドル。
時差→マイナス1時間。
有名人→ジェット・リー(俳優)、ジョセフ・スクーリング(競泳選手/2016年リオ
五倫・金メダリスト)。
生活→シングリッシュ・・中国語やマレー語の影響を受けたシンガポール英語。
発音になまりがあったり、文法を無視して簡略化したりするのが特徴。
文化→シンガポールスリング・・ラッフルズ・ホテルで生まれたといわれる100
年以上の歴史があるカクテル。鮮やかなピンク色が特徴で、女性でも飲みやすい。
とても清潔な街(汚職もほとんどなし)だと言われています。
リー・クアン・ユーは初代首相を務め、「建国の父」と言われています。
たった50年間程でさびれた漁村を世界有数の都市国家に作り上げた才覚は
立派です。
台湾の李登輝総統、マレーシアのマハティール元首相、そしてこの
リー・クアン・ユー。アジアには素晴らしい政治家がいました。
<シンガポール>の詳細をお知りになりたい方は下記リンクへ
シンガポール観光で絶対外せないおすすめスポット23選!│近畿日本ツーリスト (knt.co.jp)
<リー・クアン・ユー>の詳細をお知りになりたい方は下記リンクへ
リークアンユーの生い立ち~シンガポール建国の父の生涯 | 生い立ち〜今 (oitachi-ima.com)
【新シリーズ=小倉百人一首(38)『眠れないほどおもしろい百人一首』より】
全部で100首ありますが、全部取り上げるまでこのコーナーが続くでしょうか?
文責にも分かりませんが、皆様と一緒に挑戦してみましょう!
第三十八回目も、ランキングとは無関係の歌を取り上げます。
(38)第51番 作者:藤原実方朝臣(ふじわらのさねかたあそん) (生年不詳-998年)
『かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな もゆる思ひを』
『かくとだに えやはいぶきの さしもぐさ さしもしらじな もゆるおもひを』
訳:こんなにあなたを恋い慕っているとさえ言うことができないのだから、
伊吹山のさしも草のように燃える私の恋心を、あなたは知るはずもないでしょうね。
藤原実方は、円融院や花山院に気に入られ宮中の“花形”として華やかな世界に
身を置いていた貴公子だ。
あるとき、貴族たちが連れ立って花見に出かけたときのこと。にわか雨が降り
出して大騒ぎになったが、実方は少しも慌てず、「濡れるのなら花の下で」と桜の下に身を寄せ、雨を避けようとせずに歌を詠んだんだとか。少し気取った性格だったのかもしれない。それを聞いた藤原行成が、「歌はいいけど、実方ってやつはバカだね」と言ったそうだ。
これを根に持った実方は、宮中で行成と喧嘩になり、カッとなった実方は行成の冠を庭に投げてしまう。ところがこの一部始終を一条天皇に見られてしまい、天皇の怒りを買った実方は陸奥に左遷されてしまうんだ。なんでも天皇に「歌枕を見てこい!」と言われたんだとか。一方の行成は蔵人頭(くろうどのとう)に抜擢されたんだから、短気は損気だね。
■女性にモテモテ、清少納言とも交流
とはいえ、左遷前は華やかな宮中にいて、藤原道信(第52番)や清少納言
(第62番)とも交流があったようだ。女性にモテモテだったようで、なんと二十人
以上と関係があったとも・・・うらやましい。『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの一人とされることもある。ちなみに、左遷された陸奥には源重之(第48番)が随伴している。
しかし、実方の死に方は不運だ。実方が任国で馬に乗り笠島道祖神前を通った
とき、乗っていた馬が突然倒れ、その下敷きになって没したと言われている。没時の年齢は、まだ40歳ほどだったという。
そんな死に方だから、実方の死後、賀茂川の橋の下に実方の亡霊が出没すると
噂されたことも。また、喧嘩した行成が蔵人頭になったのに、実方のほうは陸奥守止まりで亡くなった怨念によってスズメに転生し、宮中の殿上の間に置いてある台盤(食事をのせる台)の上の物を食べたとも噂されている。
■初ラブレターの歌は、技巧のオンパレード
「かくとだに」の歌は、実方がある女性に対して初めて贈ったものだ。相手の
女性の心を開くために、ありとあらゆる技法を駆使して愛の告白をしている。
「かくとだに」の「かく」は「こんなに恋い慕っているとさえ」の意味。
「えやはいふ」は「言うことができない」。「いぶき」は掛詞で、「言ふ」と
「伊吹山」が掛けられている。伊吹山は、現在の滋賀県と岐阜県の県境にある、も草の名産地。
「さしも草」はお灸に使われるもぐさのこと。「いぶきのさしも草」は「さしも」を導く序詞で、「さしも」は「いぶき」の縁語だ。「思ひ」の「ひ」は「火」と掛けられている。「燃ゆる」「火」は「さしも草」の縁語・・・説明するだけでも疲れるほど、たくさんの技法を駆使して詠まれている。
これほど技法のオンパレードな歌を、初めてラブレターでもらった女性はちょっと面食らったかもしれないけど、何せ実方は左大臣師尹(もろただ)の孫で、円融院や花山院にも将来を嘱望されるイケメン。その彼から「燃ゆる思ひ」なんて言われたら、悪い気はしなかったはずだ。
<・・・板野博行著『眠れないほどおもしろい百人一首』三笠書房より・・・>
清少納言の恋人だったのではないか?と言われていますが、かなりの状況証拠は揃っている様です。清少納言が実方のことにほとんど触れていないのは、本命だったから敢えて作品中では隠し通したのでは?との説まである様です。
次回は、(第52番)の藤原道信朝臣(ふじわらのみちのぶあそん)の歌です。
『明けぬれば くるるものとは 知りながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな』
出典および詳細を知りたい方は下記のリンクへ・・・。
https://shikinobi.com/hyakuninisshu
https://ja.wikipedia.org/wiki/百人一首
<藤原実方>の詳細を知りたい方は下記のリンクへ・・・。
清少納言の恋人?なのに恋人として登場しない理由…。枕草子のやりとりを探る:藤原実方 編 | 歴史・文化 - Japaaan #和歌 - ページ 3
【新シリーズ=四字熟語の世界(38)】
会話の中で使用すると、ちょっと知識人(=賢そう)に見られる四字熟語の世界に
皆様を誘(いざな)いましょう。
※人気ランキング50より(出典は「四字熟語データバンク」より=下記リンク)
第38位:名誉挽回(めいよばんかい)
意味:一度傷ついた名誉を取り戻すこと。
由来/語源:「名誉」は、世間からすぐれていると認められて得た尊厳。
「挽回」は、失ったものをとりかえすこと。
もとへもどすこと。
出典:
英訳/英語:restoring one’s impaired reputation /regaining one’s honor/
redeeming oneself
使い方/例文:
(1)一度挫折した彼は、次こそはと名誉挽回を期している。
(2)名誉挽回のチャンスは一度しか与えられないので、くれぐれも慎重に
行動することです。
類義語/同義語:
面目一新(めんもくいっしん)
汚名返上(おめいへんじょう)
失地回復(しっちかいふく)
名誉回復(めいよかいふく)
対義語
※次回は「一宿一飯(いっしゅくいっぱん)」を取り上げます。
出典及び詳細を知りたい方は下記のリンクへ・・・。
<興味のある方はこちらのリンクもどうぞ・・・。>
https://jpnculture.net/yojijukugo
<座右の銘にしたい四字熟語は下記リンクへ・・・。>
4ji.za-yu.com
【偉人の名言集】
<仕事に役立つ「戦国武将」15の名言!(その6)>
戦力の差がない関ヶ原の戦いにおいて、味方だけでなく敵軍をも上手く動かして戦局を有利に進め、江戸幕府を築いたのが徳川家康です。自身の失敗はもちろんのこと、味方の裏切りや秀吉の失敗、最終的には部下からも学ぶ家康の「学習能力」と「柔軟性」の高さが受け継がれ、江戸幕府は260年以上も繁栄を続けました。
【名言】
「最も多くの人間を喜ばせたものが、最も大きく栄える」
江戸幕府という長期政権を築いた初代将軍・家康らしい名言です。
自分だけ、自社だけが栄えれば良いのではなく、「Win‐Win」の関係を築くことや、その商品・サービスによって、どれだけ多くの人に幸せをもたらすことができるかが、結局は企業の繁栄につながるという考え方と同じです。
【名言】
「いさめてくれる部下は、一番槍をする勇士より値打ちがある」
上司として「裸の王様」になることは避けたいもの。家康も同じことを思っていたようです。上司に進言することは、部下にはなかなかできません。それをあえて、勇気を持って実行してくれる部下は、それだけで大切にするべき存在です。上司になったとき、この言葉を忘れないようにしたいですね。
出所:「仕事に役立つ「戦国武将」15の名言!」より
下記リンクをご参照下さい。
仕事に役立つ「戦国武将」15の名言!織田信長・真田幸村から軍師・黒田官兵衛まで | リクナビNEXTジャーナル (rikunabi.com)
【今日の雑学(視覚・芸術)】『システィナ礼拝堂』
ヴァチカン宮殿にあるシスティナ礼拝堂は、ミケランジェロ(1475~1564)
が1508年から1512年にかけて描いた天井画で最も知られている。室内の
壁は、サンドロ・ボッティチェリ(1445~1510)、ピエトロ・ペルジーノ
(1450~1523)、ルカ・シニョレッリ(1445~1523)など初期ルネサンスの巨匠たちのフレスコ画で覆われている。この壁画よりも下の部分には、かつてはラファエロ(1483~1520)のデザインしたタペストリーが下げられていた。
「システィナ」という言葉は、もともとこの礼拝堂を建て直させたローマ教皇シクストゥス四世に由来する。建物そのものは、旧約聖書に記されたソロモン王の神殿の大きさを基準として、1475年から1483年に建設された。1507年、
教皇ユリウス二世はミケランジェロに、天井画を新たに描くよう依頼した。
もともと天上のヴォールト(アーチ形の部分)には、ピエルマッテオ・ダメリアの
手になる星空の絵が描かれていた。当初ミケランジェロは、天井画を描いた経験がほとんどなかったことから、乗り気でなかった。それでも、のべ300人以上の人物を登場させて人類の創造・堕落・救済を描いた壮大な絵物語を見事に完成させた。
ミケランジェロ本人は、天井画のデザインから彩色まですべてひとりでやったと言っているが、実際には神学的な事柄について助言を与える専門家や、複数の助手がいたようだ。また、彼は自作の詩の中で、足場の上で頭を反らせながら絵を描くのがどれほど難しかったかを語っている。
天井の中央部には、創成期から取られた九つの場面が順に描かれている。最初の三場面は天地創造に当てられ、次の三場面でアダムとイブの物語が描かれ、最後の三枚がノアの物語になっている。ミケランジェロは、これを逆の順番に描いた。
筆さばきの経験を積むまでは神を描く気になれなかったためだ。場面と場面のあいだには区切りとして柱のような構造物と、そこに座る「イニューディ」(青年裸体像)が描かれている。この裸体像は、天井全体に規則的に配置されたブロンズ色のメダイヨン(円形模様)を支えており、メダイヨンの内側には聖書中の物語が描かれている。部屋の四隅にあるヴォールトには、イスラエル人の救済についての場面が描かれている。
天井の最下層部には、旧約聖書の大預言者七人と、異教の巫女(ローマ神話の女性預言者で、のちにキリスト教に取り入れられた)五人が、中央の物語を取り囲むようにして座っている。彼らの下には、キリストの祖先たちを描いた16のリュネット(半円壁)がある。ミケランジェロは、礼拝堂で枢機卿たちが立つ位置の真上に神が来るよう計算して描いた。
1981年から1994年にかけて、フレスコ画の完全修復が、日本テレビからの資金提供を受けて実施された。洗浄作業の結果、ミケランジェロは非常に明るい色を使っていたことが明らかとなり、この発見に現代の美術史家たちは驚いた。
18世紀ドイツの文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは、イタリア旅行中に天井画を見て感動し、こう記している。「システィナ礼拝堂を見ずして、ひとりの人間がどれほどのことを成し遂げられるかを、明瞭に思い描くことはできない」
(The Intellectual Devotional―1日1ページ読むだけで身につく世界の教養365より)
(文責私見)ヴァチカン宮殿にあるシスティナ礼拝堂の話です。
ルネサンスの三大天才の一人、ミケランジェロが描いた天井画で有名です。
三大天才は、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロとミケランジェロです。
システィナ礼拝堂はローマ教皇を選出するコンクラーヴェが開催される場所
として広く知られている。
<システィナ礼拝堂>の詳細をお知りになりたい方は下記リンクへ・・・。
システィーナ礼拝堂を徹底解説|ミケランジェロの傑作『最後の審判』 – skyticket 観光ガイド
【今日は何の日】
昨日8月21日は・・・?
今日8月22日は・・・?
明日8月23日は・・・?
上記出典は下記のリンクより・・・
https://zatsuneta.com/category/anniversary.html
第67号はこれまで。
最後までお読み下さり有難うございました。
以上