【シリーズ=教養の饗応】(3/6配信第108号)
今は、二十四節気の「啓蟄(=けいちつ)(3/5-3/19)」
七十二候の「蟄虫啓戸(すごもりむし とをひらく)(3/5-3/9)」です。
昨日3月5日は、「先勝(せんしょう)」です。
本日3月6日は、「友引(ともびき)」です。
明日3月7日は、「先負(せんぶ)」」です。
また、陰暦三月の異名は「弥生(やよい)」です。
英語では「March」
フランス語では「mars= (マルス)」です。
中国語では『三 月』と書いて『サンユエ』と発音します。
韓国語では『삼월』と書いて『サムォル』と発音します。
3月の呼称としては、「桜月(さくらつき)」「花月(かげつ)」
「花見月(はなみつき)」「花咲月(はなさきづき)」
「夢見月(ゆめみづき)」「早花咲月(さはなさきつき)」
「桃月(とうげつ)」「雛月(ひいなづき)」「蚕月(さんげつ)」
「禊月(けいげつ)」「晩春(ばんしゅん)」「竹秋(ちくしゅう)」
「春惜月(はるおしみづき)」「染色月(しめいろづき)」
「嘉月(かげつ)」「花津月(はなつつき)」「季春(きしゅん)」
「暮春(ぼしゅん)」「建辰月(けんしんづき)」
「宿月(しゅくげつ)」などとも呼ばれているそうです。
第108号の配信です。
【今日のトピックス】=今日(3月6日)は「36(さぶろく)の日」
<36(さぶろく)の日>
東京都千代田区神田駿河台に事務局を置き、労働条件・職場環境の維持改善と
いった職場レベルでの課題や、労働法制・社会保障制度・経済政策など、様々な
社会的問題も解決する日本労働組合総連合会(連合)が制定。日付は労働基準法
第36条に規定されている「時間外・休日労働に関する協定」が「36(サブロク)
協定」と呼ばれていることから。全ての職場でより良い働き方を実現するために、
長時間労働の是正に向けた機運をはかり、多くの人に「働き方」や「働くこと」に
ついて考えてもらうことが目的。記念日は2018年(平成30年)に一般社団法人・
日本記念日協会により認定・登録された。
36(サブロク)協定について
会社が法定労働時間(1日8時間、週40時間)を超えた時間外労働や休日労働を
命じる場合、必要となる協定である。
労働組合などと書面による協定を結び、労働基準監督署に届け出る必要がある。
届け出をしないで時間外労働をさせると、労働基準法違反として6ヵ月以下の懲役
または30万円以下の罰金が科せられる。
36協定を締結し、労働基準監督署への届け出を行わずに残業を行わせた使用者に
対して、厚生労働省は「36(サブロク)協定のない残業は犯罪です!!」とする
リーフレットを配布し、周知をはかっている。
リンク:日本労働組合総連合会、Wikipedia
以上。
(出典:36(サブロク)の日(3月6日 記念日) | 今日は何の日 | 雑学ネタ帳
(文責私見)【今日のトピックス】として、「36(さぶろく)の日」を取り上げ
ました。労働基準法第36条の「36協定」のことです。
本文中の記載通りで、「36(サブロク)協定のない残業は犯罪です!!」
ちなみに、文責は管理職だった前職時代に、労基に飛び込み調査に入られ、
管理職だったので「36協定」の対象外でしたが、ある月に114時間の残業を
していたことが発覚して、「健康上の理由による、是正勧告」を発せられた
苦い経験があります。
<36(さぶろく)の日>の詳細をお知りになりたい方は下記リンクへ。
36(サブロク)の日(3月6日)|意味や由来・広報PRに活用するポイントと事例を紹介 | PR TIMES MAGAZINE
3月6日は「36(サブロク)協定」の日 どんな制度?なぜ必要? | RENGO ONLINE
36協定(サブロク協定)をわかりやすく解説!残業時間の上限を超えたらどうなる? | リクナビNEXTジャーナル
【新シリーズ=(まるで)本当のような嘘の話(29)】
著者=トキオ・ナレッジ。ワニブックス【PLUS】新書より
(29)<噓>「お酒を飲む前に牛乳を飲むと、
胃に膜が張って悪酔いしない」
忘年会シーズンなどで毎日のように飲む日が続く。あるいは翌日重要な会議がある
のに、接待に行かねばならない。そのように、どうしても酒の席に出なければなら
ない場合には、事前に酔い止めのサプリを飲んでおくなど、悪酔いしないための
工夫が必要。
あなたは、こんな噂を聞いたことはないだろうか。「悪酔いしないために、お酒を
飲む前に牛乳を飲むといい」というものだ。「牛乳を飲むと胃に膜が張ってコーティ
ングされるので、アルコールを吸収しにくくなるから」という理由らしいのだが。
<本当>牛乳で胃に膜を張るのは物理的に無理
さて、噂の真相を明かそう。牛乳は悪酔いや二日酔い防止に、いくばくかの効果は
あるものの、「胃に膜を張ってコーティングする」という理屈は、実は正しくない
のだ。
そもそも牛乳自体が胃液で消化されてしまうので、牛乳で胃に膜を張ることはでき
ない。牛乳を飲んだあとに飲み食いすると、胃の中で牛乳と食べ物はグチャグチャに
かき混ぜられるので、そういう意味でも胃に膜を張るということは物理的に無理で
ある。
ただし、牛乳のタンパク質がアルコールの分解を助け、牛乳の乳脂肪が胃の運動を
抑制してアルコールの吸収を遅くしてくれるので、二日酔い対策として多少の効果が
あることは事実である。
<!>悪酔いを避ける効果的な方法
「牛乳を飲む」は二日酔い防止対策の俗説だが、二日酔いしてからの後手にまわっ
た対策としては、「迎え酒」が知られている。二日酔いで迎えた翌日にあえて酒を
飲むのが迎え酒だが、残念ながら、これも科学的根拠はゼロ。
迎え酒が二日酔いに効くように感じるのは、アルコールで一時的に感覚が麻痺して
いるからであって、結局は迎え酒のアルコール分がプラスされたことにより、その後
さらに強い不快感に襲われるだけである。
二日酔いになってしまった時の正しい対応策は、水分を多く摂取すること。特に、
スポーツドリンクやシジミの味噌汁がおすすめだ。
アルコールを分解するために体内の水分が失われ、脱水症状を起こして気持ちが
悪くなるのが二日酔いの正体。吸収の早いスポーツドリンクで水分を補給すれば、
気持ち悪さが抑えられる。またシジミに含まれるオルチニンは肝臓の働きを助けて
疲労回復にも役立ち、二日酔いの症状を軽減してくれる。
酒量はほどほどに、が一番の悪酔い予防であることは間違いない。しかし、酒と
いうものは、「飲み足りない」か「飲みすぎ」かの二択しかないことも、ほぼ間違い
ない。
以上。
(文責私見)「牛乳を飲むと悪酔いしない」のか?というお話です。
このテーマでネット検索をしてみたら、なんと山ほどのリンクにヒットしました。
よほど沢山の人々の関心事なんですね?というよりも、それだけ沢山の酒飲みと
二日酔いや悪酔いに苦労した人々がいるんですね?
まあ、本文最後の一段に記載されている通りで、「酒というものは、『飲み足り
ない』か『飲みすぎ』かの二択しかない」ということですね。
ちなみに、文責はいつも「飲みすぎ」の口です・・・トホホ(苦笑)。
<牛乳を飲むと悪酔いしない>に関する詳細は下記リンクへ・・・。
「牛乳飲むと胃に膜できる」は本当か お酒の飲み方、8つの「真実」(前編): J-CAST ニュース【全文表示】
「お酒を飲む前に牛乳を飲むと酔わない」って本当?医師が教える、酔いを最小限にするためにできること | ヨガジャーナルオンライン
酒の前に牛乳やヨーグルト 酔いにくくなるって本当? - 日本経済新聞
飲酒前に「牛乳」「飲むヨーグルト」摂取→酔いが遅くなる&二日酔い予防は本当? 管理栄養士に真偽を聞いた | オトナンサー
【新シリーズ=世界史の教養=「カノッサの屈辱」を30秒で説明せよ(39)】
『「カノッサの屈辱」を30秒で説明せよ』
~世界史を攻略する86の“パワー・ワード”
おもしろ世界史学会[編] 青春出版社
という書籍から、世界史のパワー・ワードを引用していきます。
Chapter4 中世
(39)【オルレアンの少女】
——百年戦争の戦況を変えた少女の話——
ヨーロッパの歴史には、「〇年戦争」と呼ばれる戦争がいくつかあります。
宗教的対立を背景に戦われた「三十年戦争」(1618~48)、マリア・テレジア
とフリードリッヒ大王が戦った「七年戦争」(1756~63)などです。
そうした「〇年戦争」のなかでも、文字通り「桁違い」の戦いが、オルレアンの
少女こと、ジャンヌ・ダルクの活躍で知られる「百年戦争」です。
「百年戦争」は、11世紀のノルマン・コンフェスト以来のイングランドと
フランスのねじれた関係を清算するための大戦争だったといいえます。
事の発端は1328年、フランス王のシャルル4世が死去し、カペー朝が断絶した
ことでした。
そこで、傍系のヴァロワ家のフィリップ6世が即位し、ヴァロワ朝を開いたので
すが、この王位継承に、イングランドのエドワード3世が待ったをかけました。
エドワード3世は、彼の母親がカペー家出身であることを理由に王位継承権を主張、
1339年、フランスに攻め込んだのです。
こうして「百年戦争」は幕を開けました。「百年」といいますが、実際には
1339年にはじまり、1453年に終わったので、百年どころか110年以上も
続いたわけです。ただし、その間、ずっと戦っていたわけでなく、数度の休戦を
はさみながらの戦いでした。
また、当時の騎士には、1年間で1か月ほどの従軍義務しかなく、その期間が
過ぎれば、さっさと引き上げていました。それも、戦争を長引かせた理由の一つです。
また、14世紀半ばには、前述したペストが流行し、両国に大ダメージを与え
ました。そのことでも、戦争は中断したのです。
では、その戦いの経緯をふりかえってみましょう。まず、初期の戦いでは、
エドワード3世率いるイングランド軍が、1346年のクレシ―の戦いで圧勝。
カレーを占領します。さらに1356年、ポワティエの戦いで、エドワード3世の子・
エドワード黒太子がフランス軍を撃破、フランス国王ジャン2世を捕虜にします。
その後も、イングランド優勢の状態が続き、フランス皇太子のシャルルはなかなか
即位できないでいました。そんなフランスの難局に、突然現れたのが、ジャンヌ・
ダルクです。
ジャンヌは、ロレーヌ公領のドムレミ村の農家に生まれた当時17歳の少女です。
そんな一少女が「フランスを救え」という神の声を聞き、1428年、ヴァロワ家の
皇太子シャルルのもとに赴くのです。そして、ジャンヌは軍をゆだねられ、翌年、
オルレアン包囲中のイングランド軍に向かって突撃し、オルレアンを解放します。
当時、イングランド兵は、長い包囲戦に疲れていました。そこに、ジャンヌ率いる
フランス兵が熱狂的な攻勢を仕掛けてきました。その神がかり的な攻勢の前に、
イングランドは敗走してしまったのです。
ジャンヌはその勢いに乗り、パティの戦いでもイングランド軍に圧勝。ランスに
到着します。ランスは歴代フランス王が戴冠式を行ってきた都市であり、この都市
の奪還により、皇太子のシャルルはシャルル7世として即位することができました。
王の誕生によって、フランスは求心力を取り戻し、イングランド軍を撃破しはじめ
ました。
ただ、ジャンヌの神通力は一時的なものでした。その後、パリの奪還に失敗、
コンピエーニュの戦いで敗れ、ブルゴーニュ公国の捕虜となります。公国は、
イングランドはジャンヌを裁判にかけ、「魔女」と判定、1431年、ルーアンの
広場で、火刑に処しました。オルレアン解放から、わずか2年余り後のことでした。
その後、シャルル7世は、イングランド側に立っていたブルゴーニュ公国と和解。
これによって、フランス国内は一本化され、イングランドへの反撃を本格化します。
そして、1453年、フランスはイングランド勢をほぼ追い出したのです。
百年戦争はこうして終結、イングランドがフランス内に所有する領地はなくなり、
なお、百年戦争終結後、ジャンヌの存在は長らく忘れられていました。ところが、
19世紀初頭、あのナポレオン・ボナパルトが彼女の伝説を再発見。ナショナリズム
昂揚の材料として利用、以後、ジャンヌは救国の少女として知られていくことに
なります。
以上。
<出典:「カノッサの屈辱」を30秒で説明せよ』
~世界史を攻略する86の“パワー・ワード”~(青春出版社)より・・・>
(文責私見)中世のフランスに現れた「ジャンヌ・ダルク」のお話です。
12歳で神の啓示を受け、百年戦争で母国フランスのために重要な役割を
果たし、19歳で異端審判の結果、火刑に処せられ殉教した「オルレアン
の少女」は、いったいどんな心境で亡くなったのでしょうか?
<オルレアンの少女>の詳細をお知りになりたい方は下記リンクへ・・・。
【人物解説:ジャンヌ・ダルク】魔女ではなく聖女!フランスを救ったオルレアンの少女の生涯や真相、逸話を解説! | 歴史ワールド
ジャンヌ・ダルクについて調べてみた 【オルレアンの乙女】 - 草の実堂
ジャンヌ・ダルクとは何をした人?~オルレアンを解放しフランスを救う~
【『言葉の豆辞典――知っているようで知らない身近な日本語』(その39)】
(39)<雀百まで踊り忘れず>
・・・「雀躍(じゃくやく)」ならその時限り?・・・
人間はいくつになっても幼い時の習慣は改まりにくいもので、このようなことを
「雀百まで踊り忘れず」といいますが、年をとっても道楽のくせがなおらないと
いうような時に多く使われます。
この諺は案外古くから使われていて、正保二年(1645)の俳書『毛吹草』
(けふきぐさ)(松江重頼著)にも「雀ほど小さく老の身はなれど、ういたる人に
踊り忘れぬ」などと出ています。
さて、この諺のもとについて、雀はその歩き方に特徴があるもので、両脚を
そろえてぴょんぴょんと飛び歩く習性があります。
この歩き方を「雀の小躍り」といい、これから「小躍りして喜ぶ」ということば
が生まれ、また、おどりあがって喜ぶことを「雀躍(じゃくやく)」というのもこれ
からきたものです。
ところで、昔は「踊り」に通うことは、一般に、うわついた所業とみられていて、
この諺でいう「踊り」はこのことを意味したのだとしています。
だからこのようなことは、年とともに遠ざけるのが普通なのに、若いころの道楽は
なかなか抜けないものです。それが、ちょうど雀が死ぬまで「小躍り」するのに似て
いるところから、この諺が生まれたものだとしています。
ともあれ、道楽というものは、そう簡単にはなおらないものですね。
以上。
「ことばの豆辞典・・知っているようで知らない身近な日本語」より>
(文責私見)第三十九回目は「雀百まで踊り忘れず」です。
文責はてっきり、「三つ子の魂百まで」と同様の意味だと思っていました。
誉め言葉ではなかったのですね?むしろ若い頃の悪い癖(=道楽癖や酒癖)は
年老いても治らない、という意味だったんですね?良い事には使わないん
ですね?これは知りませんでした。
<雀百まで踊り忘れず>の詳細をお知りになりたい方は下記リンクへ・・・。
「雀百まで踊り忘れず」の意味とは?由来や英語まで例文付きで解説 – スッキリ
【雀百まで踊り忘れず】の意味と使い方や例文(語源由来・類義語・英語訳) – ことわざ・慣用句の百科事典
【今日の教養(視覚芸術)】
<『ダビデ像』>
1501年、フィレンツェ共和国はミケランジェロを雇い、大聖堂の正面を飾る
ダビデの像を制作させた。ダビデは旧約聖書に登場する王で、青年時代に巨人
ゴリアトを倒した英雄でもあり、フィレンツェでは市の守護者だと広く考えられて
いた。この仕事は、当初は別の芸術家に依頼されていたが、その人物は高価な大理石
の大きな塊から輪郭を切り出した直後に亡くなっていた。言い伝えによると、ミケラ
ンジェロがこの仕事を引き受けたのは、「状態の悪くなった」大理石に喜んで挑戦
しようとしたのが彼しかいなかったからだという。1504年に像が完成すると、
そのあまりのすばらしさに、これを教会の高い位置に置くことはできないと考えら
れた。その代わり、フィレンツェの中心であるシニョーリア広場に面した市庁舎
パラッツォ・ヴェッキオの前に設置された。
この彫像は、盛期ルネサンスの最高傑作のひとつで、ゴリアトと戦う直前の緊張
したダビデの姿を捉えている。ドナテッロの有名な『ダビデ像』が戦いに勝利した
少年を描いているのに対し、こちらは、これから戦いに赴こうとする青年である。
古典古代の作品にインスピレーションを得て、ミケランジェロは、体重を片足に
乗せ、気高そうな頭を左に向けて立つ、筋肉質の美しい肉体を彫り出した。ダビデの
筋肉は、これから巨人を倒すために力をためて盛り上がっている。手と足が体と比べ
て大きすぎるが、それは青年期に特有な体の部位のバランスの悪さと、将来大きな
力を得ることが約束されていることを示している。
ミケランジェロの伝記を書いたジョルジョ・ヴァザーリが書き残している逸話に
よると、フィレンツェに住むピエトロ・ソデリーニという市民が、ダビデの鼻が
大きすぎると不満を述べた。この批判に対してミケランジェロは、鼻の一部を削る
振りだけをした。それが終わるとソデリーニは、「ああ、これで彫刻に命が宿った!」
と満足そうに言ったという。
『ダビデ像』は、最初にシニョ―リア広場に立てられたとき、石を投げつけられた。
おそらく犯人は、当時亡命中だったメディチ家の支持者たちで、彼らはこの彫像を
共和国のシンボルだと見たのであろう。1527年には暴動に巻き込まれ左腕が
壊された。1873年には、風雨と公害による劣化から守るため広場から撤去された。
フィレンツェ美術アカデミアの安全な場所に移されてからは、元の場所には複製が
置かれた。1991年、錯乱状態のイタリア人画家がオリジナルをハンマーで襲い、
足の指を一本、砕いた。
完成500年を前に、『ダビデ像』は蒸留水できれいに清掃された。今後ほこりが
たまるのを防ぐため24時間空気を吹き付ける装置を導入する計画があり、目下議論
が進められている。現在『ダビデ像』は、アカデミア美術館で見ることができる。
同館には、これ以外にも、ユリウス二世廟堂のため設計した未完の奴隷像四体など、
ミケランジェロの他の彫刻作品も展示されている。
(The Intellectual Devotional―1日1ページ読むだけで身につく世界の教養365より)
下記の一番上のリンクによると・・・、
ダビデ像には3つの見どころがあり、
(1)コントラポストによる自然なポージング、
(2)解剖学的な人体デザインと、あえての不格好さ
(3)実は目がハート、緊張感を感じさせる表情・・・だそうです。
二番目のリンクに、ドナテッロのダビデ像の写真が掲載されており、
ご参考までにご覧下さい。
<ダビデ像>に興味のある方は下記リンクへ。
ミケランジェロの『ダビデ像』を徹底解説!何がすごい?大きさは? | イロハニアート
ダビデ像(ミケランジェロ)の特徴を徹底解説 – 大きさ、重さ、展示場所 - Amazing TRIP
【新シリーズ:「世界を知る101の言葉」Dr Mandeep Rai著より(95)】
あなたを101か国のツアーにお連れして、それぞれの国を動かしている【価値観】を
「単語ひとつ」の言葉で表して、解説していく、という本よりの紹介になります。
(95)パラグアイ(Paraguay)=「リラックス」(Relaxation)
・陸に囲まれた島はリラクゼーションの本拠地
南アメリカから遠く離れたロンドン・ビジネススクールの一室で、キャリアアド
バイザーが、私にこんな提案をしました。
「あなたに必要なことが、なんだかわかりますか?ただ座って、何もしないこと
です」
当時の私にはそのアドバイスがぴんとこなかったのですが、数年後、パラグアイを
訪ねたときに腑に落ちました。この国は、まさしくリラクゼーションの本拠地です。
ブラジルとアルゼンチンという巨大な隣国に囲まれたパラグアイは、「四方を陸に
囲まれた島」と表現されますが、ブラジルの都市のような騒々しい、にぎやかな生活
とは正反対です。
首都アスンシオンの住民は、街を競馬場のように扱いません。A地点からB地点に
できるだけ早く駆けつけるのではなく、立ち止まって笑顔で話しかけます——初対面
の人にでも。
ある旅行ライターは、こう振り返っています。
「地元の人が一番好きな娯楽は、道端に立って、通りをぶらぶら歩きしている友人
に手を振ることのようだ」
・パラグアイ式人づきあい指南
人づきあいに関してもパラグアイの人はリラックスしたアプローチを取ります。
直前に電話をかけ、ちょっとそこで飲みましょう、と誘います。誘われた人は、事前
に通知がなかったことにも怒らず、「はい」と返事。
そのあとの午後は、何もしないで、座って「テレレ」(冷たいマテ茶)を楽しむ
だけです。私は、何もしないでこんなに快適に過ごせる場所を他に訪ねたことがあり
ません。座っておしゃべりして、世の中を観察して、他の人との交流を楽しむ。ここ
では、未体験の境地にまでリラックスできます——素晴らしい気分です。
今この瞬間を生きる才能は、現地のグアラニー語に「明日」という言葉がないこと
にも反映されています(「夜明けが来たら」という意味のkoeraという単語しか
ありません)。パラグアイ人にとって、重要なのは、将来起こるかもしれないこと
ではなく、すぐ目の前にあることなのです。
のんびりした文化は学校から始まります。子どもたちは就学すると、17歳まで
同じ学校に通うので、幼い頃から共に育ち、一生楽しく関わり合う人間関係が得られ
ます。
同じことが家族生活にも当てはまります。必ず週に一度、日曜日に集まって、兄弟、
いとこ、叔母、叔父、義理の家族に至る100人以上の家族全員が年長者の家
(一般的には祖父母)で、バーベキューをしながら午後を一緒に過ごすのです。世界
の地域によっては、これほど多くの家族が集まるのは結婚式ぐらいですが、パラグ
アイでは毎週のことで、リラックスした日常の延長にすぎないのです。
おおらかな態度は、国の運営の一部にも表れています。パラグアイは市民権の取得
に寛容で、一部の国とは違い、パラグアイ人になりたい人の経歴や出身国を厳しく
制限しません。世界で最も簡単に市民権とセカンドパスポートが取得できる国の一つ
として知られていて、3年で、しかもこの国だけに継続して住んでいなくても認めら
れます。
・厳しい現実があるからこそ、身近なことに目を向けて
パラグアイがこのようにリラックスできるのは、少なくとも国としては、それを
まかなう余裕があるからです。天然資源が豊富なうえ、世界最大規模のイタイプダム
による水力発電が国の電力の99%を占めています。実はパラグアイは世界第4位の
電力輸出国です。
すべてのパラグアイ人が近年の経済成長の恩恵を受けているわけではありません。
人口の約30%が貧困層で、とりわけ農村部に多く見られます。
また、この国の近代史には、リラックスとは程遠い不穏な出来事が続いていました。
三国同盟戦争では、ブラジル、ウルグアイ、アルゼンチンの前に陥落し、南米史上
最も多くの命が奪われました。1870年の終戦時までに、全人口の60%を失い、
労働年齢の男性の90%が死亡しました。
また、35年にわたるアルフレド・ストロエスネルの軍事独裁政権下で広範囲に
およぶ弾圧が行われ、推定400人が殺害され、1万9000人以上が拷問を受け
ました 。この国は義務投票制を採用しているわずかな22か国の一つですが、
国民の多くは、政治システムを変える力がないと感じています。「コロラド党」が、
1989年のストロエスネルの退任以来、一人を除いてすべての大統領を輩出して
きました。
だからこそ、パラグアイ人は、身近なものを大切にし、生活の中心である家族と
友人という単位を重要視しているのです。
テクノロジーの発達によって仕事の切れ目がなくなり、スマートフォンから
とめどなく情報ややりとりが流れ込んできます。スイッチを切ってリラックスする
のに苦労する世の中です。
一歩下がって有意義にリラックスする能力があれば、魂に栄養を与えてくれる
物ごとに——何よりも「人」に——感謝する余裕が生まれます。リラックスというと
「何もしない」ように感じるかもしれませんが、私のキャリアアドバイザーが伝え
ようとしていたように、本当は、そこにこそ生きている意味があるのです。
首都→アスンシオン。
人口→704万人。
面積→40.7万平方キロ(日本の約1.1倍)。
民族→混血(95%)、先住民(2%)、欧州系(2%)、その他(1%)。
GDP→381億ドル。
時差→マイナス13時間。
文化→南米の先住民であるグアラニー族の言語グアラニー語を公用語として
いるのはパラグアイだけである。
生活→マテ茶・・・グアラニー族の習慣に起源をもつお茶で、今も日常的に
飲まれている。ミネラルやポリフェノールが豊富で、日本でも商品化されて
いる。
自然→パンタナール・・・パラグアイ・ボリビア・ブラジルにまたがる世界
最大の湿原。日本の本州とほぼ同じくらいの面積(15~20万平方キロ)の広さを
ほこる。
ブラジル・アルゼンチン・ボリビアに囲まれた陸の孤島の国です。
三国同盟戦争での、労働年齢男性の約90%を失うという亡国の危機にも
めげずに、国を維持してきた歴史には驚異すら感じます。
<パラグアイ>の詳細をお知りになりたい方は下記リンクへ・・・。
【パラグアイってどんな国?生活は?】言語、気候や位置、衣服、食事、住居などの基本情報 - はるカタルーニャ
【新シリーズ=小倉百人一首(78)『眠れないほどおもしろい百人一首』より】
全部で100首ありますが、全部取り上げるまでこのコーナーが続くでしょうか?
文責にも分かりませんが、皆様と一緒に挑戦してみましょう!
第七十八回目も、ランキングとは無関係の歌を取り上げます。
(78) 第81番 作者:後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん) (1139-1191年)
『ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば ただ有明の 月ぞ残れる』
『ほととぎす なきつるかたを ながむれば ただありあけの つきぞのこれる』
訳:ほととぎすが鳴いた方角を眺めやると、その姿はなくて、ただ有明の月が残って
いるだけだよ。
後徳大寺左大臣こと藤原実定(ふじわらのさねさだ)は、藤原俊成(しゅんぜい・
第83番)の甥っ子で、定家とは、いとこの関係。実定のおじいちゃんである実能
(さねよし)のことを「徳大寺左大臣」と呼んだので、それと区別するために
「後徳大寺」と呼ばれたんだ。彼は政治家としてもなかなか優秀で、左大臣にまで
出世している。
また、文化人としても秀でていて、蔵書家として有名だったり、管弦にも優れて
いたりと万能ぶりを示している。政治の世界でも文化の世界でも、世渡り上手な
オールラウンダ―だったんだね。
「ほととぎす」の歌はお題があって詠まれたもの。渡り鳥であるほととぎすが
渡来するのは、ちょうど夏の始まりとなる、五月初め。そのため“夏の訪れを告げる
鳥”とされ、ほととぎすの到来を今か今かと昔の日本人は待ったんだ。
その最初の一声を「初音」と言って、耳にするのをありがたがって、朝一番に鳴く
のを聞こうと夜明けまでスタンバイすることもあったほどだよ。
もちろん歌にもたくさん詠まれていて、『万葉集』には約百五十首、『古今和歌集』
には約四十首、『新古今和歌集』には約四十首もほととぎすを詠んだ歌が載っている。
■ほととぎす——“夏の訪れ”を聴覚と視覚で切り取った秀歌
「ほととぎす」はさっきも書いたように、夏の鳥。山の中に棲んで、明け方早くに
鋭い声で鳴く。「有明の月」は「夜が明けてもまだ空に残っている月」のこと。
「ほととぎすが鳴いたと思ってその方角を眺めたら、ほととぎすの姿はもうなくて、
ただ有明の月が残っているだけだ」と、聴覚と視覚の両方で、その一瞬を巧みに切り
取った歌になっている。「なんだか肩すかしだな」なんて言わないでほしい。声は
聞こえても、姿は見えない——それゆえに、ますます気をひかれるというのが、
風流ってものなんだよ。テクニックに頼らず一気呵成に詠んだこの歌は、古来、
ほととぎすうぃ詠んだ秀歌とされているんだ。
<・・・板野博行著『眠れないほどおもしろい百人一首』三笠書房より・・・>
下記の一番上のリンクによると・・・
『1189年(文治5年)に正二位左大臣(しょうにいさだいじん)に昇格してから、
徳大寺実定は「後徳大寺左大臣」と呼ばれるようになります。これは、祖父である
「徳大寺実能」(とくだいじさねよし)も「徳大寺左大臣」だったため、区別する
ための呼称です。』・・・とあります。
次回は、(第98番)の従二位家隆(じゅうにいいえたか)の歌です。
『風そよぐ 楢の小川の 夕ぐれは みそぎぞ夏の しるしなりける』
出典および詳細を知りたい方は下記のリンクへ・・・
https://shikinobi.com/hyakuninisshu
https://ja.wikipedia.org/wiki/百人一首
<後徳大寺左大臣>の詳細を知りたい方は下記のリンクへ・・・。
【新シリーズ=朝礼スピーチで使える四字熟語(29)】
会話の中で使用すると、ちょっと知識人(=賢そう)に見られる朝礼スピーチで
使える四字熟語の世界に皆様を誘(いざな)いましょう。
(29)気炎万丈(きえんばんじょう)
意味:燃え上がる炎のように、非常に意気盛んであること。意気盛んな談論。
由来/語源:「気炎」は、炎が燃え上がるように、盛んな気勢、意気込み。
「万丈」は非常に高いこと。「気焔万丈」とも書く。
出典:
英訳/英語:in high spirits / talking big
用例/使い方:事業の発展的継続と改善策を話し合い、社員皆、気炎万丈だった。
類義語/同義語:意気軒高(いきけんこう)/意気昂然(いきこうぜん)/
意気衝天(いきしょうてん)
出典及び詳細を知りたい方は下記のリンクへ・・・。
【朝礼スピーチ】で使える!四字熟語一覧[意味と使い方] 座右の銘にしたい四字熟語一覧【公式】 (za-yu.com)
<座右の銘にしたい四字熟語は下記リンクへ・・・。>
<興味のある方はこちらのリンクもどうぞ・・・。>
https://jpnculture.net/yojijukugo
<気炎万丈>の詳細を知りたい方は下記のリンクへ・・・。
気炎万丈【きえんばんじょう】の意味と使い方や例文(語源由来・類義語・英語訳) – 四字熟語の百科事典
【四字熟語】「気炎万丈」の意味や使い方は?例文や類語などを現役塾講師がわかりやすく解説! – Study-Z
「気炎万丈」と「気焔万丈」の違いとは?意味や違いを分かりやすく解釈 | 違い比較辞典
【偉人の名言集】
<世界の偉人が残した名言集60選より>(その3)
(3)「機会が二度扉を叩くなどとは考えるな。」
<作家 シャン・フォール>
人生には何度かチャンスが訪れます。
その機会を絶対に逃してはいけません。
チャンスが何度もやってくると、思わない方が賢明だと思います。
出所:「世界の偉人が残した名言集60選!心に響く有名な言葉&格言」より
下記リンクをご参照下さい。
世界の偉人が残した名言集60選!心に響く有名な言葉&格言 | 営業シーク|セールスやビジネスに役立つノウハウ&コツが多数掲載
<シャン・フォール>に関する詳細は下記リンクへ・・・。
ニコラス・シャンフォールの名言(Nicolas Chamfort) - 偉人たちの名言集
【尊敬される大人の教養100(26)】
『わが子に「なぜ海の水はしょっぱいの?」と聞かれたら?』
——尊敬される大人の教養100——
「大人」とは何か?研究所(編)・講談社より・・・
(26)日本最古のカレーの意外な具と味
いまや日本の「国民食」としてすっかりお馴染みのカレーライス。ヱスビー食品の
調べによれば、日本人は一年に約76回、つまり、週に1回以上は、何らかの形で
カレーを食べているという。
一般的な日本式カレーの具と言えば、ニンジン、ジャガイモ、タマネギといった
野菜に、牛、豚、鶏の肉が定番。ところが、カレーが日本に伝わった明治初期には、
今とはまったく異なる驚きの具材が用いられていたのだ。
カレーの製法に関する日本最古の文献資料がある。明治5(1872)年刊の
『西洋料理指南』。この本には次のように記されている。
「葱一茎生姜半個蒜少許(にんにくすこしばかり)を細末にし牛酪大一匙を以て
煎り水一合五勺を加へ鶏(にわとり)海老(えび)鯛(たい)蠣(かき)赤蛙(あか
がえる)等のものを入て能く煮後にカレーの粉小一匙を入煮る」
注目すべきは「赤蛙等を入れて」という箇所。当時のカレーの作り方を要約すると、
ネギ、シヨウガとニンニクのみじん切りをバターで炒めて水を加え、ここにエビや
タイ、カエルなどを入れて煮て、その後カレー粉を加えるとある。つまりカレーの
具材にカエル の肉が採用されていたのだ。
なぜ、牛肉や豚肉は使われなかったのか。背景にあったのは、はるか昔の675年、
仏教の普及と共に発せられた、天武天皇による「肉食禁止令の詔」。牛、馬、犬、
猿、鶏のいわゆる「五畜」の肉食禁止の習慣が、明治初期にはまだ厳然と効力を
発していたのである。
そこでカレーの具材として提案されたのが、カエルだった。というのも、カレーを
日本に伝えたイギリス人たちの多くは、日本と同じ漢字文化圏の中国人を仲介者とし
て伴ってきた。彼らの多くは、当時イギリス領だった香港を中心とした中国南方出身。
かの地では、カエルを食べる文化が根付いていたため、肉縮に制限のある日本で
カレーを伝えるにあたり、カエルを使うアイディアを考案したとされている。
さて、肝心の味だが、意外にも美味だったとか。イギリスでは、晩餐会のディナー
の一品だったというから驚きだ。
<まめ知識>
知ればもっと美味しくなる!
カレーにまつわる豆知識
- 最初にカレーを食べた日本人
→白虎隊の一員だった山川健次郎。だが、ルウには一切口をつけなかった。
(2)福神漬がカレーに添えられたルーツ
→日本郵船の一等船客用の食堂が最初。ちなみに二、三等用は沢庵だった。
(3)「甲子園カレー」幻の具
→球場開設当初から牛肉を使っているが、戦時中はイルカ肉を代用した。
(4)全国の給食をカレーにしようとした日
→1982年1月22日に試みられたが、実施した学校は約6割に留まった。
(5)カレー消費量日本一の街
→一世帯のカレールウの年間支出金額、購入数量は共に鳥取市が第1位。
以上。
【今日は何の日】
昨日3月5日は・・・?
今日3月6日は・・・?
明日3月7日は・・・?
上記出典は下記のリンクより・・・
https://zatsuneta.com/category/anniversary.html
第108号はこれまで。
最後までお読み下さり有難うございました。
以上