【シリーズ=教養の饗応】(3/1配信第5号)
今は、二十四節気の「雨水(=うすい)」です。
七十二候では、草木萌動(そうもくめばえいずる)」です。
第5号の配信です。
【トピックス】
一般形鋼に関して・・・
前回(配信第4号)に引き続き形鋼の特集を続けます。
今回は前回紹介致しました製品以外の形鋼の製造メーカーに関しての特集です。
I形鋼の製造メーカーと製造サイズは下記の通りです。
<高炉メーカー>
日本製鉄(t9X150X200~t13X175X450)
<電炉メーカー>
大阪製鐵(t5X75X75~t5.5X75X125)
JFE条鋼(t5.5X75X150&t7X100x200のみ)
東京製鐵(t5X75Z100~t12X150X350)
ヤマトスチール(t8.5X125X150~t16X190X600)
以上5社
レール製造メーカーと製造サイズは下記の通りです。
<高炉メーカー>
日本製鉄(37Kg、40KgN、50KgN、60Kg、CR73Kg、CR100Kg)
JFEスチール(37Kg、40KgN、50KgN、60Kg、CR73Kg、CR100Kg)
<電炉メーカー>
大阪製鐵(6Kg、9Kg、10Kg、12Kg、15Kg、22Kg、30Kg)
合同製鐵(12Kg、15Kg、22Kg、30Kg)
以上4社
パラレルフランジチャンネル製造メーカーと製造サイズは下記の通りです。
<電炉メーカー>
JFE条鋼(75X45Xt6.1Xt3.8、100X50Xt6.7Xt4.2、125X65Xt7.5Xt4.7、150X75Xt9.5Xt6、180X75Xt11Xt6、200X75Xt12Xt6)
等厚溝形鋼製造メーカーと製造サイズは下記の通りです。
<電炉メーカー>
大阪製鐵(100X50Xt4.9Xt5)
T形鋼の製造メーカーと製造サイズは下記の通りです。
<電炉メーカー>
JFE条鋼(t9X125 のみ)
以上1社
*なお、I形鋼、軌条(レール)、関しましては、添付ファイルにて一覧表を送付申し上げます。
【今日の教養】
・つぎの略語の元々の言葉は?
- URL
- PR
- IoT
- CC
- SDGs
答えは・・・
- PDF→Portable Document Format
- URL→Uniform Resource Locator
- PR→Public Relations
- IoT→Internet of Things
- CC→Carbon Copy
- SDGs→Sustainable Development Goals
【今日の故事成語・ことわざ】
「矛盾」の意味は・・・?
「韓非子」に出てくる故事である。
楚のある男が、矛(ほこ:今で言う槍のような武器)と盾(たて)を売っていた。
男は言う「この矛はどんな盾をも突き通す矛だ」そしてさらに「この盾はどんな矛をも防ぐ盾だ」
客は尋ねた「ではその最強の矛で最強の盾をつくとどうなるのか?」男は返答できなかった。
もし矛が盾を突き通すならば「どんな矛も防ぐ盾」は誤りであり、もし突き通せなければ「どんな盾も突き通す矛」は誤りとなる。
したがって、どちらを肯定しても男の説明は辻褄が合わない。
つまり「矛盾」とは、辻褄が合わない出来事や道理に対して使われる故事成語である。
(文責私見)「絶対ということは絶対に存在しない」→この言葉の矛盾は??
「馬鹿」
一説には史記の「指鹿為馬:鹿を指して馬と為す」が語源と言われている。
秦の時代。権力を振るった宦官の趙高は謀反を企み、廷臣のうち自分の味方と敵を判別するために一策を案じた。
彼は宮中に鹿を曳いて来させ「珍しい馬が手に入りました」と皇帝に献上した。皇帝は「これは鹿ではないのか?」と尋ねた。
趙高は左右の廷臣に「これは馬に相違あるまい?」と聞くと大半は黙り込み、彼を恐れる者は馬と答え、彼を恐れぬ気骨のあるものは鹿と答えた。その後、鹿と答えた者は全て殺されたという。
(文責私見)いつの時代にも「正直者は馬鹿を見る」と言われています。時には臨機応変に嘘をつくことも大事かも知れませんね。そう、それって「嘘も方便」ということわざのことですね。
「蛇足」
中国の楚の国で、祠の司祭者が召使に大杯に盛った酒を振る舞った。
しかしみんなで飲むには酒が足りなかったので、召使達は「地面に蛇の絵を描き、早く描き上げた者が酒を飲もう」と提案し、早速皆は蛇の絵を描き始めた。
そしてある者が最初に絵を描き上げたが、自分の速さを自慢するために「ついでに足まで描けるぞ」と描いているうちに、もう一人の者が蛇を描き終えて杯を奪いとった。
その者は「蛇に足はない。だから、酒を飲む権利は私にある。」そう言って、酒を全部飲んでしまったという。
(文責私見)頼まれてもないし必要もないに、一生懸命に切断面のバリ取りをサンダーで仕上げしているのは、「蛇足」ではないですよね?
【今日の雑学・雑談のネタ】
「中国の四大美人」は誰のこと?
(1)魚も沈む「沈魚美人」西施(せいし)
時代:春秋時代BC5世紀(BC473没説あり)
定番ポーズ:「西施浣紗」洗濯の場面。彼女が洗濯していると、魚もみとれて沈んでしまうと言われました。
洗濯に使った石は史跡として残されています
特徴:病弱なのか眉をひそめる
欠点:足の形がイマイチ
最近演じた女優:安以軒(アン・イーシュアン)
本名は施夷光と伝わります。
苧蘿村という村出身。貧しい家の娘で同じ村の東にもうひとり施という娘がいたため、「西の施さん」という意味の西施と呼ばれました。
粗末な格好で洗濯をしていても超美人で、村の男たちは争ってその美貌を見に来たとか。
持病があったのか、彼女は胸を押さえて眉をしかめることがよくありました。
何気ないポーズも、美人の西施がすると悩殺ものです。東施はじめ、周囲の村娘もその仕草を真似しましたが、まったく美しくは見えませんでした。
「顰(ひそ)みにならう」の由来です。
その美貌に目を付けた越王勾践は、彼女を他の美女たちとライバルの呉王夫差に送り込みました。
西施の美貌に骨抜きにされた夫差は国を傾けてしまい、勾践の計略は見事成功。
彼女のその後には二つの説があります。
呉の滅亡後、人々に災いをもたらす妖女として長江で溺死させられたバッドエンド説。
彼女をプロデュースした大商人・范蠡と恋仲になり、彼の手引きにより呉を抜けだし幸せな余生を送ったハッピーエンド説。どちらを信じるかは自由です。
現代台湾で、セクシーな服装でビンロウやタバコを売る女性を「ビンロウ西施」と呼ぶのも、彼女が由来です。
日本では美人を「ナントカ小町」と呼びますが、中国では「ナントカ西施」と呼ぶのだそうです。
時代:前漢時代、BC51-BC15
定番ポーズ:「昭君出塞」琵琶を持ち、毛皮つきの服やフードつきの服を着ている、馬や駱駝に乗っています。
哀しい琵琶の音色に、雁も聞き惚れて落ちてしまったとか
特徴:琵琶が得意
欠点:なで肩
最近演じた女優:李彩華(レイン・リー)
夫の死後、匈奴の風習に従い義理の息子にあたる復株累若鞮単于の妻にされました。
このことは漢にとっては屈辱的であり、そんな彼女の身の上への共感が、悲劇的美女の座に押し上げます。
匈奴に嫁ぐ女性を選ぶ際、元帝は肖像画を見て決めることにしました。
絵師は宮女たちに多額の賄賂を要求したものの、正直な王昭君は拒否したため、醜く描かれてしまいました。
そのため元帝は「この醜い女なら、まあいっか」と彼女を選抜。ところが実物は美女であったため、怒って絵師を処刑してしまったとか。この逸話は有名ですが、どうやら後世の創作のようです。
描かれた姿では必ず琵琶を弾いています。
これは彼女が祖国を去る時琵琶を奏でていたため、とされますが、どうやら別人の逸話と混同されたようだという説もあります。
今に伝わる王昭君像は、一人の女性というよりは、異民族に降嫁させられた女性たちの集合体と言えるのかもしれませんね。
時代:後漢末
定番ポーズ:「貂蝉拝月」国を憂い、月を眺めて決意を固めるその姿に、月も雲に隠れてしまったとか
特徴:ほとんどフィクションベースのためか、アレンジ自由自在
欠点:耳の形
最近演じた女優:劉亦菲(リウ・イーフェイ)
『三国志』でおなじみの美女。現代ではゲームキャラクターとしても人気がありますね。
時は後漢末、混乱に乗じて暴虐の限りを尽くす董卓の振る舞いに、貂蝉の養父・王允は心を痛めていました。
そんな養父の姿を見て貂蝉は、国難のために己を犠牲にしようと決意します。
国を憂い、月を眺める貂蝉の美しさのあまり、月が雲に隠れてしまった、と言います。彼女はその美貌で董卓と腹心の部下・呂布を誘惑し、仲違いさせようとしたのです。
と、ここまでが貂蝉のストーリーなのですが、この逸話も名前も後世の創作です。
ただし、元ネタは存在します。
呂布は董卓の侍女と密通しており、発覚を恐れていました。呂布が王允に相談したところ、いっそ討ってしまってはどうか、とアドバイスされます。
つまり呂布に「主君を討たせる気にさせた女性がいた」という点に関しては史実なのです。
このような人物であるためか、創作物では様々なアレンジが為されます。
吉川英治版三国志や、その影響が強い横山光輝版等、日本のフィクションでは呂布が董卓を暗殺した時点で貂蝉は自害、あるいは殺害される場合がほとんど。これは日本特有のアレンジです。
『三国志演義』はじめとする中国版では、董卓の死後も生存して呂布の妾となるパターンが主流です。
『演義』では呂布が曹操に敗北した後はフェードアウトしてしまいますが、演劇ではさらに様々な末路があります。
呂布の死後、関羽と曹操の間で取り合いになったり、争いの種になると関羽に斬殺されるパターンも。関羽の墓から発掘された女性の死体は貂蝉ではないか、なんて話もあったりするとか。
実は、この話の元ネタも存在します。
関羽が呂布の部下の妻に美人がいることを知り、その女性が欲しいと曹操に訴えたものの、結局、曹操が興味を持ってしまい自分の側室にした、という話です。
この手の話は、関羽の神格化が進むとともに忘れ去られていきました。
さらに、元々は美人ではなく、度胸もない普通の女性であったのを、名医・華佗が顔面を交換する整形手術と心臓交換をほどこしたとか。サイボーグかよ! と突っ込みたくなりますね。
それだけ自由にアレンジできるというのが、彼女の特徴でしょう。
ただし、四大美人中で唯一「実在しない」という理由でメンバーから外され、代わりに趙飛燕(前漢成帝皇后)を入れるパターンもあるようです。
時代:唐(719-756)
定番ポーズ:「貴妃酔酒」あでやかな酔態は満開の牡丹のよう。温泉好きであることから入浴場面も定番
特徴:豊満な肉体。デコルテを出した唐代の服と相性抜群
欠点:体臭
最近演じた女優:范冰冰(ファン・ビンビン)
エジプトの伝説的美女クレオパトラ、小野小町(あるいはトロイア戦争を引き起こしたヘレネ)と並んで、日本では世界三大美女と呼ばれることもある楊貴妃。
『長恨歌』等により、古くから日本でも知られ、愛された女性です。
紫式部は『源氏物語』において、帝から絶大な寵愛を受けた光源氏の母・桐壺女御を楊貴妃のような寵愛ぶりとたとえました。
このように中国のみならず、日本でも古くから文学や絵画の題材になっています。現代でも彼女が出てくる映画、ドラマ、テレビコマーシャルがおなじみですね。
本名は楊玉環。
玄宗の子・寿王李瑁となったものの、あまりの美しさに玄宗自身が惚れ込んでしまいました。
彼女は出家し女冠(道教の女道士)となり、その後玄宗の高宮に入り「貴妃」(妃の位)となりました。
玄宗の寵愛を一身に集めた楊貴妃は、彼女のいとこや姉妹などの親族も大出世を果たします。当時の人々は、男児よりも女児をありがたがり、願わくば楊貴妃のように寵愛されて欲しいと願ったとか。
しかし彼女自身に政治的野心は一切なく、ただ天真爛漫に生きていたようです。
彼女への愛に溺れた玄宗は、次第に政務を怠るようになってしまいます。
その結果「安史の乱」(755-763)が勃発。756年、玄宗らとともに長安から逃亡中、馬嵬という場所で護衛兵たちは楊貴妃の命を要求しました。
「このような乱が起こった元凶が彼女だからだ」
それが兵士たちの言い分でした。
玄宗は「楊貴妃は政治に口を出さなかった、罪はない」とかばいますが、兵士たちはおさまりません。かくして、やむなく楊貴妃は絞め殺されてしまったのでした。
この悲劇を詠んだのが、前述の『長恨歌』です。
優れた文学作品により、彼女の伝説的な美貌と悲運は人々の記憶に残りました。
楊貴妃は唐代美人の特徴ともいえるグラマラス……といえば聞こえはよいのですが、後世からするとかなりふくよかな体型だったようです。
ライバルの妃は彼女を「あのデブ女」と呼んでいたとも伝わっています。
中国の古典では「楊貴妃みたいな美人」というのは「ぽっちゃり体型」の言い換えであったりします。
唐代の衣装は彼女のようなグラマラス美女を引き立てるため、ともかく胸元が開いているのが特徴です。
この時代を舞台にした映画やドラマは、そちらに気が散ってしまって話の筋が追えなくなるほど、女優陣が谷間をチラつかせております。
楊貴妃のゴージャスぶりは、谷間だけではありません。全身からえもいわれぬかぐわしい香りがしたため、花がはじらいしぼんでしまったという伝説も。
しかしこれも実際のところ強烈な体臭だったのでは、と解釈されることもあるとか。
あるいは涙や汗をハンカチでぬぐうと紅く染まったという伝説も。ここまで香りが濃いと好き嫌いも分かれるでしょうね。
ライチが好物で、玄宗はわざわざ原産地から長安まで運ばせました。楊貴妃の死の直後もライチが届けられ、それを見た玄宗は号泣したそうです。
そのためか、ライチを用いたリキュールやカクテルには、彼女の名前をつけたものが数多く存在します。
ちなみに、世界の三大美人は・・・
歴史に名を残す絶世の美女たち
教科書やテレビなどでたまに耳にする「世界三大美女」。
CMなどでも使われる有名なキャッチフレーズですが、微妙に美女の中身が変わってることもあり、実は詳しく知らない方も多いかと思います。
美女の中身は時代によって変化していますが、基本的には固定化されています。
ここでは最も一般的に広まっている三大美女をご紹介します。
世界三大美女って誰が決めたの?
世界三大美女は、ノミネートのように決められたわけでもなく、歴史学者やどこかの王様が決定しているわけでもありません。
さらに言いますと「世界三大〇〇」という呼び名自体、世界での認識は低く、ほぼ日本独自のキャッチコピーであると言えます。
世界三大美女は噂話のように広まり、その時代に人気だった女優やセレブの名前が入るようになりました。
最も美女と称されることの多い女性
エジプト王国の最後の女王であり、絶世の美女としては知名度ナンバーワン。
フランスの哲学者パスカルが「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史は変わっていただろう」 と言うほど、その美貌は当時から光り輝くものがあったとされています。
実は美人ではなかった説は?
一説では、さほど美人ではなかったという説もありますが、こちらの説も敵国であったローマ陣営が流した流言であったともされ、クレオパトラの風貌が本当はどのようなものだったのか、まだ確立されていません。
とにかく頭が良く才能溢れる女性だった
また、クレオパトラは美貌だけでなく知性と品性も兼ね備えた女性とされています。
当時の権力者達は、クレオパトラ恐ろしいほどの英知と閃きに「言葉では言い表せない魅力美」を感じたのかもしれません。
中国唐代の皇妃である、楊貴妃(ようきひ)。
こちらも大変有名な女性ですね。
楊貴妃の「楊」は名字で、「貴妃」は身分を表す言葉で、後宮にいる女性3千人の中での最高の位となります。
ちなみに彼女の本来の名前は「玉環(ぎょくかん)」と言います。
内戦を引き起こすほどの美女玄宗皇帝の寵姫であり、彼女の洋服や装飾品を仕立てる専属職人が1000名以上いたとされるほど、とにかく皇帝からの愛情
を受けていた楊貴妃。
玄宗皇帝が彼女を寵愛し過ぎたため、安史の乱が引き起こされたと言われており、そのことから「傾国の美女(国情を傾けるほど影響力を持った美女)」と呼ばれています。
楊貴妃は、安史の乱にて玄宗皇帝から自決を命じられ、その命を落としました。
怒り狂った民衆からの要望を拒みきれず、苦渋の決断を下した玄宗皇帝ですが、楊貴妃の亡骸を見て血の涙を流すほど悲しみに明け暮れ、その後、幽閉された後は楊貴妃を想いながら亡くなったとされています。
最後は「小野小町」ではなく、世界で見るとギリシャ神話の女神ヘレネとされています。
ヘレネは他の美女たちと違って創作上の人物であるため、この3人目の枠は時代により「小野小町」や「マリー・アントワネット」に代わることも。
神との間の子供
スパルタ王と王妃の娘として生まれたとされていますが、実父はギリシャ神話の主神ゼウスであり、実母はネメシスという、言うなれば女神として誕生しました。
やがてトロイアの王子にさらわれ、トロイア戦争の引き金になったとされています。
とにかくモテモテ!
トロイアの王子の死後は、彼の弟達がヘレネを巡って争い、ギリシャ中の英雄たちから求婚を受けたとされるほどの美女。
ちなみに英語名では「ヘレン」となり、ヘレネ由来の美女になるよう付けられる、今でも人気の名前です。
日本で言う三大美女は誰?
日本では三大美女といえば「クレオパトラ」「楊貴妃」そして「小野小町」とされています。
しかしこの小野小町は、日本だけで通用する独自の見解なのです。
(文責私見)我が社の三大美人は、間違いなく「Aさん」「Iさん」「Mさん」ですね。
いけない、いけない、これってセクハラ?→申し訳ございません、前言全て撤回致します。
【今日の疑問・愚問・質問】
「3月」の呼び方は、「弥生」以外にも有りますか?
下記の通り沢山有ります。
弥生(やよい) |
弥生は草木が生い茂る意味の「木草弥や生ひ月」が短くなったものと考えられています。 |
桜月 |
さくらつき・さくらづき |
雛月 |
ひいなつき |
早花咲月 |
さはなさづき・さはなさきつき |
夢見月 |
ゆめみづき |
染色月 |
しめいろづき |
嘉月 |
かげつ |
花津月 |
はなつつき |
季春 |
きしゅん |
花見月 |
はなみつき・はなみづき |
晩春 |
くれのはる・ばんしゅん |
春惜月 |
はるおしみづき 旧暦では春の終わる季節のため、春の終わりを惜しむ意味の「春惜月」を3月の別名と使用しています。 |
暮春 |
ぼしゅん |
かげつ |
|
建辰月 |
けんしんづき 「建」の文字は北斗七星の柄を意味し、その柄が旧暦で辰の方位を向く為「建辰月」と呼ばれています。 |
蚕月 |
さんげつ |
宿月 |
しゅくげつ |
桃月 |
とうげつ |
【偉人の名言集】
山本五十六(連合艦隊司令長官、最終階級は元帥海軍大将)の言葉
「やってみせ 言って聞かせて させてみて
ほめてやらねば 人は動かじ
話し合い 耳を傾け 承認し
任せてやらねば 人は育たず
やっている 姿を感謝で 見守って
信頼せねば 人は実らず」
【今日は何の日】
本日の3月1日は・・・
第5号はこれまで。
最後までお読み下さり有難うございました。
以上